世界拾遺記

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アニメ『進撃の巨人』感想②:歪んだ歴史認識

この作品のテーマ:歴史は事実ではなく「物語」

正義と悪のせめぎあいでも正義の暴走を描いたわけでもなく、歴史認識がかみ合わず対立しあい、悲劇を生んでいるのが進撃だと思っている。この作品では要所要所で歴史と歴史認識がキャラクターやストーリーを動かしている。

 

民から記憶を奪って歴史を改ざんした壁の王

改ざんされた歴史に疑問を抱いて調査兵団に入団し、壁内人類の運命を変えたエルヴィン・スミス

「本当の歴史」を知って目覚めた男・グリシャ・イェーガー

民に人類の歴史を返すことを決めたヒストリア

「英雄」の名誉と特権的地位のために歴史を隠蔽したタイバー家

エルディア人と巨人を従え軍事国家となって100年経っても過去の戦争被害ばかりで戦争加害からは目を背け続けてきたマーレ

 

この中で、歴史に対する態度がかなり危ういのがグリシャらエルディア復権派とマーレだ。グリシャは解読できていない古語を自分に都合よく解釈し、しかもそれを可能性にとどめるのではなく事実だと断言してしまっている。歴史が捏造された瞬間だった。このご都合解釈を信奉して突き進みジークを駒にして利用した結果、彼らは破滅した。

思うに、グリシャが信じた歴史は恐らく真実でもあるだろう。効率よくインフラを整えるために巨人を使ったこと自体はあってもおかしくない。

しかし、解読できていない古語をあたかも読めたように偽ることが許されるわけではない。巨人の力で橋をかけたことを「大陸の発展に貢献した」と結論付けたのも何の根拠もない。

グリシャらは「大陸の発展に貢献した」と信じたかったのだろうが、実際はエルディア人の居住地域の整備にのみ巨人の力は使われ、支配されたその他の民族との差別化が進み分断を深めただけだったかもしれない。歴史に対する評価は誰からの視点なのかとか、時代によっても変わる。

さらには、巨人の平和利用は兵器利用を帳消しにも免責にもしない。信じたいものだけを信じることは危険だ。

 

マーレの歴史認識もグリシャのそれと同様の危うさと欺瞞がある。巨人大戦が終結して100年が経ち、その間軍事国家としてエルディア人を使って他国と戦争してきた。それでも100年前の戦争の被害ばかりに言及し、戦争加害についてはまったくの無視だ。

巨人に踏みつぶされ食われてきた過去を嘆きエルディア人への憎悪をたぎらせることはあっても、ここ100年で巨人を使って他国を踏みつぶしてきた歴史はまるでなかったかのようにスルーしている。中東連合とのスラトア要塞戦で空から降ってくる巨人兵器を見て「俺たち(マーレ)の先祖もこうして食われたのか」とつぶやいたのがすべてを物語っている。俺たち(マーレ)はこんな非道なことをされたのに同じことをしているのか、にはならない。

 

戦争加害から目を背けることは背ける側からすれば、居心地が良いだろう。しかしそれでは被害国との関係修復は停滞するどころか、亀裂を深めていくだけだ。加害を認めないことは加害はなかったという歴史修正をもたらし、外国からの評判を落としていく。加害と向き合わない点において、エルディア復権派もマーレも同じである。

 

グリシャらエルディア復権派とマーレの歴史認識の齟齬は、「歴史」とは物語に過ぎないことを如実に表している。「歴史」は語る側の視点によって180度異なる姿を見せる。エルディア帝国を称え巨人の力の利用を正当化するシナリオの「歴史」を求めるならば、それを示す「歴史的事実」だけを集めてつなぎ合わせ、逆にエルディア帝国の残虐性と現在のエルディア人に対する抑圧を正当化したいなら、そのストーリーに導く「歴史的事実」だけをピックアップして並べればいい。

こうして「歴史」は、民族や国家のアイデンティティや誇り(愛国心)を養成する機能を負ってきた。この役割を過度に期待した結果が、グリシャによる歴史の捏造とマーレによるエルディア人への人権侵害だ。「歴史」は語り手のイデオロギーや思惑が反映された物語であることを念頭から外してはならない。