世界拾遺記

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アニメ『進撃の巨人』The Final Season 69話「正論」感想:「想像の共同体」

 

目次

 

 

「そもそも国ってのがまだわからんなあ」

そ れ な

駐屯兵団のオッサンがぼやいた「そもそも国ってのがまだわからんなあ」の言葉にクソデカ声で「それな!!」と叫んでしまった。外部世界と接触しての「国って何」の感想には身に覚えがありすぎた。2年前の私かよ。まさかこれだけ魅力的なキャラクターが登場するのに、モブオッサンのモブいセリフに大興奮するなんて。

単身ユーラシア大陸渡航して陸路で国から国へと移動していたときに、360度見渡す限り同じ草原が広がっているのに国境で仕切られている一方ともう一方では、言葉も文化も住んでいる人々も異なっている。国って何だ、何様なんだと思った。島国・日本で生まれ育って他国と地続きで隣り合うというのを初めて目の当たりにしたのも影響していた。

兵団のオッサンのためにも帰国後に調べた国とは何かの一応の回答を自分のためにも記しておきたい。というのは建前で、今ではすっかり国境や辺境、国民国家ナショナリズム、民族アイデンティティにどっぷりな人間の早口オタク語りがしたい。

 

駐屯兵団のオッサンが口にした「国」:主権国家

現代に生まれた我々にとって国家とは地球に空気があるようにあたりまえの存在として受け入れている。しかし、現在のこの主権国家体制は宗教改革に端を発する30年戦争の講和条約で、1648年に締結されたウェストファリア条約がきっかけで成立していったもので、ウェストファリア体制とも言われるもので、帝国主義を掲げた主権国家である西洋列強の台頭により強者が世界のスタンダードとして採用されていった人類史において最近の制度だ。

近代以前も国家は存在したが、それらは主権国家ではなく封建制国家だった。主権国家は国民を創り出す装置である点において封建制とはまったく異なる制度だった。主権国家は標準語教育や歴史教育を通して愛国心を育て、一生顔を合わせる機会もない大多数の人間と同じ国民意識を共有させる。それゆえ、主権国家国民国家ともいう。これはアンダーソンの『想像の共同体』に詳しい。私のバイブル。

国民意識の創生について例として日本について考えてみると、江戸時代では日本列島の本土は徳川幕府支配下にあったが、封建制でそこに暮らす人々は薩摩の人間とか長州の人間であるとかの認識はあっても、前述のような一生出あうこともない大多数の人間と同じ国民意識を共有し、「想像の共同体」としての日本人、日本国民という意識はなかった。それが西欧列強との接触で、列強からの植民地支配を回避するために革命が起き、列強の国家システムである主権国家を採用して明治政府が誕生した。明治政府は近代主権国家に必要不可欠な税制・軍制・官僚制を整え、標準語を作り日本史と共に学校で教えられ「日本国民」が創られていった。「想像の共同体」作りは、内国植民地だった沖縄と北海道、植民地の台湾や朝鮮半島樺太にもおよび、彼らの文化や言語を奪っていった。ということで、今日私たちが抱いている「日本人」というアイデンティティは、明治から始まったものであり「江戸時代の日本人」といった言葉は正確さに欠ける。

 

強者のルールへの強制

明治時代の日本そうだが、パラディ島も強者に蹂躙されないために、強者の作った強者のルールへの適応を半ば強制的に求められており、そこに拒否権はない。ましてやパラディ島は主権国家運営の専門家がいるわけでもなく、強者のルールの中身がいまだに不明なままで、プロ相手に勝たなければならず、制度面でもかなり理不尽な状況に置かれている。

 

「人類」から「エルディア人」へ

壁は島に建っていて海の外には人がいる、それを知るまで壁内の人々は自分たちを単に「人類」と呼んでいた。陸の孤島のような地域に暮らしてきた少数民族の呼び名が彼らの言葉で人間を意味するのと同じだ。東洋人やアッカーマンの例外を除けば、人類を区別する言葉をほとんど持ち合わせていなかった。出身居住地域でマリア人とかシーナ人とも区別していなかった。外の世界を知ったことでそこでの呼称を採用する形でエルディア人、ユミルの民という新たなアイデンティティの芽生えがもたらされていった。

マーレ編ではもうパラディ島の少なくとも兵士たちは、もう人類とは自称していない。エルディア人やユミルの民と名乗っている。エゴを言えば、エルディア人というアイデンティティは市井の一般市民にも共有されているのかがとても気になっている。教育は変わったのかとか、もっと一般人の生活を覗きたい。

 

鉄道建設

「夕日のせいだよ」が飛び出したのが鉄道だったのはたまたま鉄道だったわけではない。鉄道は61話「闇夜の列車」のように兵士の移送手段と、原料や出来上がった製品を運ぶために不可欠なインフラとして選ばれている。軍事と産業、つまり「富国強兵」を支えるインフラが鉄道だ。

現在も一部の国(トルクメニスタンなど)では鉄道駅を写真に撮ることは国家の軍事機密漏洩にあたるとして固く禁じられている。パキスタンの空港で暇つぶしに、お絵かきド素人私がHOT LIMITを聞きながら施設のほんの一部をスケッチしていたら、銃を担いだ軍人さんに注意されてしまったことがある。それくらい輸送手段は国家の最重要(軍事)施設だ。

産業面での例でいうと、明治時代に日本で建設された初期の鉄道路線の一つに、1884年明治14年)に開通した高崎と横浜を結ぶルートがある。これは当時の主要輸出産業であった生糸をその産地から港のある横浜へ運ぶためのものだった。

 

 

優秀な人間を13年で死なせるマーレ

優秀な人間を使い捨てるという搾取

コニサシャの漫才に「夕日のせいだよ」で霞みがちだが、進撃の巨人の継承者に名乗り出たジャンにコニーが優秀な人間を13年で死なせるわけにはいかないと、マーレの戦士選考基準を全否定していた。

エルディア人がエルディア人のために巨人を運用するのと、支配者が被支配者の巨人を使役するのとの違いがよく表れていたように思う。マーレが肉体も頭脳も優れた人材に巨人を継承させるのは一見妥当だが、優秀なエルディア人を使い捨てられるマーレの立場の強さが反映されたものであり、ある種の搾取だ。

トランプゲームの「大富豪」で大貧民が大富豪に一番強い手札を差し出さなければならないのの人間版だ。さらに、この選考は結果として将来の反乱リーダーの可能性もある優秀な被支配民を若いうちに摘み取る機能もあるように思う。

 

家族のために戦う戦士、家族を失い戦う兵士

個人的に、マーレの戦士選考基準の第一段階は家族の有無だと考えている。戦士の家族は人質だ。孤児ではその「枷」がない。61話「闇夜の列車」でエルディア人戦士たちが故郷に帰還した束の間の「団らん」が描かれたが、あれは家族をマーレに人質を取られている現状の再確認をさせられているようにしか見えなかった。戦場で空から降ってくる巨人兵器を目の当たりにしてからでは尚更、否が応でも意識せざるを得ないだろう。拘束着とパラシュートを身に着けたあの列に家族を加えないためにも、爆弾を巻き付けて突撃しなければと。

マーレの戦士の家族を強調される一方で、パラディ島の兵士には家族の影が薄く孤児も多い。エレン、ミカサ、アルミンは孤児であり、調査兵団を見据えて訓練兵に志願する彼らを止めたり、心配する人はもういなかった。104期の主要メンバーではエレンら3人の他にライナー、アニ、ベルトルト、ユミルが孤児(という設定)で、ヒストリアも実質的に保護者がいないに等しかった。エレンもミカサもアルミンも理不尽に保護者を失くしているのに、そのトラウマに悩む描写や理不尽に憤る描写はとても少ない。

 

 

リプロダクティブライツが存在する羨ましい世界

地ならしの能力を維持するのにヒストリアがジークの獣を継承し、王家の血を引く巨人を絶やさぬよう死ぬまでできる限り子どもを産み続けるというジークの提案に壁内の上層部が難色を示し、島に住む民のためにヒストリアには犠牲になってもらおうとはならず、彼女のリプロダクティブライツが尊重されていて、日本よりよっぽど女性の人権が保障されていた。

壁内の上層部はオッサンばかりなのに、女王には壁の民の統治者として役割を果たしてもらおうとはならなかったのは、女性は「子供を産む機械」ではないことが社会のコンセンサスとして浸透している証左であり、どこぞのヘルジャパンとは天と地の差だ。

 

2000年の「伝統」の否定

巨人を継承させるために産み増やすというのは、おぞましいが始祖ユミルの誕生から約2000年間、脈々と続けられてきた「伝統」でもある。この悪しき「伝統」をこのせいで最も苦しんできた人々が打破しようと思考し解決を模索する姿勢は心底羨ましかった。

最後まで血族間で継承されてきた戦槌の巨人のタイバー家最後の継承者はヴィリーの妹、ラーラだった。彼女は兄の大義を尊重し兄の代わりに戦槌を継承したが、ジークの持っていたタイバー家家族写真に彼女の姿はない。継承者の特定を防ぐ目的でタイバー家息女をメイドにするには、かなり時間と手の込んだ裏工作があったに違いない。

先代を捕食しての実際の継承の数年前から、死んだことにするなどして家族のメンバーから退場させていたのではないだろうか。婚姻で家を出たにしても、エルディア人貴族の婚姻先は限られている。婿養子を取ったことにしてタイバー家領地に暮らしていることにしても、叩かなくてもホコリが出るくらいには不審な結婚生活だ。

一族間継承は、継承者を13年以上に渡り拘束する悪しき陋習だ。継承者以外も安定した継承のために婚姻と多産が絶対で、リプロダクティブライツは無く、自分は継承を免れたことに罪悪感を抱きながら継承の可能性を持った子供を作り続ける地獄の一生が待っている。

しかし、実質的に家畜のように子を産み続けて一生を終える以外の選択肢はなく、多産を否定したところで、それとは対照的にジークの秘策「安楽死計画」のように子孫を残せなくして絶滅を待つか、エレンのように地ならしでエルディア人以外を滅ぼすかなど、同様に悲惨な末路しかない。滅ぼせないほど増やすか、滅びを選ぶか、他者を滅ぼすか、この三択しかないのは地獄以外の何ものでもない。

この場面を見て私の脳裏によぎったのは、王家の血を引く者を1人無垢の巨人にしてソニービーンのように拘束して「王家の血を引く巨人」を確保するというものだった。『進撃の巨人』版「オメラス」(ル=グウィン『オメラスを歩み去る人々』参照)の完成だ。己の思考の畜生ぶりは定期的に戒めていきたい。

 

エルヴィンは間違っていない

ジークの提案に対し、それでは根本解決にはならず問題を先送りにしているだけでそれを子孫に引き継がせることに難色を示し、自分がこんなに辛い思いをしてきたのに後の世代は楽するなんて許せないというような老害マインドとは無縁のハンジを後継者にして死んだエルヴィンは間違っていなかった。

 

 

人類の宝:ジャン・キルシュタイン

同期を戦場に呼んだのはエレンからの信頼の証だと言ったミカサに、ジャンがそれは人を大切にする方法じゃないと意見していて、やっぱり彼は人類の宝であると確信した。デカいのは図体ばかりでない。生きろ。

 

 

(参考文献)

ベネディクト・アンダーソン(1997)『増補 想像の共同体: ナショナリズムの起源と流行』(白石隆・白石さや訳)NTT出版

フィリップ・K・ディックカート・ヴォネガット・ジュニア他(2010)『SF短編傑作選 きょうも上天気』(浅倉久志訳・大森望編)KADOKAWA