世界拾遺記

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アニメ『進撃の巨人』The Final Season 67話感想:「英霊」—祖国のための死に駆り立てる装置の登場

フロックの「英霊」発言

灯りに沿って低空で進む飛行船へ、地上での戦闘から兵士たちが続々と引き揚げていく。サシャから把握している限り死者6名と告げられ、自分が指揮した作戦で死者が出たことにうなだれるジャンに対し、フロックが放った言葉が衝撃的だった。

「敵に与えた損害と比べてみろよ。大勝利だ」

「我ら新生エルディア帝国の初陣は大勝利だぞ」

「さあ歓べ。これが6人の英霊への弔いだ」

 「帝国」のために戦士した兵士は「英霊」となる。死んでも「英霊」として神格化され称えられるのは国家への忠誠の模範であり、名誉なのだから国家のために死ね。この犬笛で国民を煽って戦地に送り込み、大半をマラリアなどで病死か、補給を顧みない作戦で餓死させた「帝国」かつてがあった。大日本帝国というのだが。

 

 

大日本帝国の「英霊サイクル」

日本列島には古来から支配者のために戦って死んだ人はごまんといるが、「英霊」と神格化され靖国神社に祀られるのは大日本帝国のために戦死した「日本人」兵士だけだ。かつての大日本帝国には、「英霊サイクル」があった。男子は立派な軍人になって国家、天皇に忠誠を尽くし戦って死に「英霊」として祀られる。これが最高の名誉である。この価値観が教え込まれ戦場で死に直面した時は靖国で会おう、と言い残して死んでいき「英霊」が「英霊」を呼ぶのがこのサイクルだ。国家のイデオロギーのために死ぬことを奨励が「英霊」の意味するところだ。

 

 

意味のない死から名誉の死へ

フロックの「英霊」発言は、この歴史を踏まえてのものであることは間違いないだろう。「英霊」を死者や尊い犠牲に置き換えても成立セリフで、敢えて「帝国」とセットで「英霊」が選ばれている。『進撃』では今までもメインキャラが死にまくるし、巨人領域に出れば毎回その大半が死んでいた。

ここで思い出してほしいのがウォールマリア奪還作戦だ。退路をふさがれ獣の投石に晒され、エルヴィンが新兵を率いて獣に特攻しその隙にリヴァイが獣を仕留める最終作戦が決行された。作戦の説明でエルヴィンは死に意味はないと言い、人生や生まれてきたことに意味がありこの意味を与えられるのは生者だけと続けた。今までに亡くなった仲間の死に意味を見出せるのは、生者が彼らの死を無駄にしないよう生きたときだとした。

死に意味はなく生に意味があるエルヴィン理論から死に意味付けをする「英霊」理論へと死の捉え方が180度転換している。国家やそのイデオロギーのために国民を死へ駆り立てることが名誉などと正当化されることは本来あってはならない。「英霊」理論は戦争をも正当化する装置だからだ。

さらに、死んだ兵士を「英霊」として神格化し祀ることは戦後の未来への禍根の種にもなりかねない。徴兵され無謀な作戦で行軍中に餓死した兵士しか「英霊」になってないわけではない。相手国を蹂躙した人間をも神格化するからだ。

神格化というと悪いことではないようにも響くが、特別視して対等な人間と見なしていないという点において神格化も蔑視と同じだ。

 

 

作品の良心:ジャン

「英霊」の言葉が持つ意味や背景を踏まえると、死者6名に対してうなだれたジャンの反応が活きてくる。生存率の低すぎる今までと比べれば、予定調和の奇襲だったとはいえ死者6名は「少ない」と言ってしまいたくなるのに(私はそう思ってしまった)作戦の現場指揮官として死者を悼み責任を感じることのできるジャンは、目には目を奇襲には奇襲を殲滅には殲滅をと拡大していく血で血を洗う戦争での良心だ。作中のキャラクターにとっても、我々視聴者(読者)にとっても。

やはり、現実世界の近代国家による戦争を彷彿とさせる描写において、非戦闘員の巻き添えをできるだけ避けたり、相手国への加害を省みたり、仲間や部下の死を悼むことを蔑ろにしない描写は欠けて欲しくない。

戦後75年経って戦争を扱った作品が『この世界の片隅に』のように、健気に生きた一般人にフォーカスされるようになって戦争の悲惨さをダイレクトに伝える描写が少なくなり、その認識が薄れていく昨今だからこそ、戦争を美化する「英霊」描写にはそのカウンターになる考えがセットで提示される必要がある。

ジャンは原作版『風の谷のナウシカ』でいうところのクシャナだ。頭が良くて戦闘能力も高く、指揮官として有能で仲間思い。『ナウシカ』でクシャナが戦後世界の再建を担ったように、地ならし後の世界があるなら、そこで必要なのは彼のようなリーダーだ。自分のことしか考えない内地で適当に暮らしたいだけの憲兵団志望だったのに。主人公の噛ませ犬(…馬?)的キャラから大躍進だな、ジャン!できた19歳だよ、将来が楽しみだ。生きろ、そなたは美しい。