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アニメ『進撃の巨人』The Final Season 67話感想:あの凶弾はなぜ放たれたのか

見てない被害を否定する=加害を否定する

66話感想でガビの、信じたいものだけを信じて被害者意識に浸る傾向について指摘した。

 

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ガビの危うさの決定的な表れが、ガビの「私も見てない」発言だ。収容区への奇襲で亡くなった人々や踏みにじられたエルディア人の名誉挽回への努力を挙げ、なぜ被害に遭わなければならなかったのかわからないと叫んだガビに対して、ファルコはエレンとライナーの問答を思い出しながら「踏みにじられたからだ」と応えた。

パラディ島の人々もマーレの戦士の攻撃で踏みにじられたからだと。ガビは始祖奪還作戦を考えることもなく、ファルコに島が攻撃されるのを見たのか尋ね、ないと言った彼に「私も見てない」と続けた。

 

見てない、の後にガビが「見てないから被害なんてあったかわからない」と言ったわけでは確かにない。しかし、ファルコも自分も見てないのになぜそれを信じられる、信じなければならないのかとでも言いたげな間と、お決まりの「島の恨み節」を並べて飛行船の方向へ走って行ったのは、見てないものは存在しないとしたも同然だった。

 

ガビは、自分は見ていないことを理由にパラディ島の被害を全否定した。裏を返すと、マーレの戦士が行った壁内人類への虐殺を否定することと同義になる。

これは、「島の悪魔」が被害者でマーレの戦士が加害者だという彼女の信じたくないシナリオを無理やり否定し、自分の被害者としての立場と、収容区攻撃に対するパラディ島への報復を正当化する行為でしかない。

ガビのこの真実を捻じ曲げてでも否定して、客観的に見て理性的な思考を欠いた狂気とも取れる執念と、無自覚に信じたいものだけを信じる心理があの凶弾につながった。

 

 

見てなくても信じた被害

ガビの真偽よりも自分の信じたいものだけをロジックや証拠をまるで無視してまでも信じる思考は、67話ではこの発言以外にもあった。

ガビはジークは死んだと言って、飛行船を攻撃する口実にも挙げている。しかし、彼女は獣の巨人が倒されるところまでは見ているが、ジークが殺されるところは見ていない。獣を倒したリヴァイから手榴弾を投げられたあと、超大型巨人の爆発でその場を離れたからだ。

殺されるところを見ていないのに、殺されたとして自分の被害者意識の強化と報復の口実に無意識にしている。「戦士長を殺され巨人を奪われた私は被害者」という信じたいシナリオを無意識に作り出している。

しかも本人は自分の思考の矛盾にまったく気付いていない。さらに、自己の利益のために事実を捏造したことに無自覚なだけでなく、捏造を攻撃の根拠にしてしまった。

 

66話の感想で述べた通り、信じたいものと信じたくないものがあれば、信じたいものを信じてしまう「ガビ」はこの社会に一定数存在する。隣人や同僚、下手すると久々に会った家族が「ガビ」になっているかもしれない。「ガビ」をヤバい奴とウザがったり冷笑したり、放置して「凶弾」で倒れるのは自分の大切な人かもしれない。