世界拾遺記

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『アメリカン・アニマルズ』感想:楽な生き方の代償

 

あらすじ

刺激を欲していた大学生、ウォーレンとスペンサーは1200万ドルになるという図書館の貴重な蔵書を盗むことを思いつく。チャズとエリックを計画に引き入れ犯行に及んだ実際の強盗事件を本人たちの出演と回想により紐解いていく。

 

 

実話の「物語」

この映画では、退屈な日常に刺激や人生が一変するような体験を欲していた大学生4人が大学図書館の貴重な蔵書を盗み転売することを計画し犯行に及ぶまでが、刑期を終え出所している実行犯本人たちが出演し回想する形式で展開される。実話に基づいたフィクションというより、回想と再現によるドキュメンタリーと言った方が近く、それを知らずに見ると本人が登場するので面食らう。被害者本人が証言するドキュメンタリーは多いが、これは加害者が出演している珍しさがある。この加害者が出演していることについては後述したい。

 

 

現実にフィクションを投影していた

この映画はNetflixから視聴したが、そのあらすじには

 

タイプの異なる大学生4人組が企てた前代未聞の強盗事件。

大学の図書館に所蔵されている希少な本を狙った大胆な計画だったが、

そこで彼らが直面した運命とは。

 

とあり、サムネではスーツを着こなした若い4人組が時計の歯車のように噛み合った華麗な所作で犯行に及ぶ映像が流れる。これを見て『オーシャンズ』シリーズのような娯楽作を期待して再生ボタンを押した。

しかし、実際の犯行は1回目の挑戦では土壇場で怖気づき未遂に終わり、執念に急き立てられ、翌日に穴だらけの計画を実行し初っ端から不手際の連続で焦って焦って結局素人じみた幼稚で杜撰な結果となり、4人は犯行からほどなくして逮捕され7年超の実刑判決が下った。サムネ動画の部分は、計画中に「そんなうまくいくわけない」と一蹴された妄想部分だった。

杜撰な犯行の顛末を知ってもサムネに騙されたとは全く思わなかった。素人による強盗などこんなものである場合がほとんどだ。それでも現実で起こった事件に対して『オーシャンズ』のような華麗な手口や『プリズンブレイク』のような緻密さを期待していた。まぎれもなく、現実に対してフィクションを投影していた瞬間だった。

犯罪や暴力表現の規制要求に対するありふれた反論に「現実とフィクションの区別ぐらいつく」という主張がある。イギリスにホグワーツはなく、銀河の平和はジェダイによって守られてはいない程度の区別でもって現実とフィクションの区別はついていると言うのは容易い。しかし、中学生の頃から強盗、脱獄映画を見ているとそれらがフィクションだとわかっていても、現実で起きた強盗事件に無意識にそれらを投影し期待していた。現実にもありふれている強盗という犯罪を扱ったフィクション(しかも娯楽作)を、現実の事件に無意識に投影していたことは問題だ。まさに現実とフィクションの区別かつくかどうかが槍玉に挙げられるときの問題の焦点そのものである。現実の犯罪、特に被害者が存在する犯罪に現実と乖離したフィクションのご都合主義や非現実性、娯楽化に伴う矮小化を期待することは無意識レベルで起こり得るのだ。

 

 

加害者の映画出演

犯人の大学生4人は犯行からほどなくして逮捕され、7年超の実刑判決を受け大学は中退となったうえで20代のほとんどを刑務所で過ごすことになった。現在は出所して社会に復帰しているが、その人生は強盗で実刑判決という前科がつきまとう。刺激が欲しかった、自分は特別だと証明したかった、人生が変わるような体験がしたかった、その欲に理性が負けた代償を一生払うことになった。

この事件は、貴重な本が盗まれただけでなく、司書が1人スタンガンで攻撃され拘束され傷つけられている被害者のいる。その犯人が映画に出演することは、犯罪によって出演料を得るだけでなく売名行為にもつながる。それを考慮しても彼らの出演が肯定されているのは、「世間に迷惑をかけて申し訳ない」ではなく「被害者を傷つけて申し訳ない」が言えているからだ。犯罪を犯しつかまった作家やアーティストの作品が販売停止になるのは、報道で知名度が上がることで犯罪が売名行為や直接的な金儲けになり得るからである。性犯罪で逮捕された漫画家の連載が打ち切りになり単行本が絶版になるのは、被害者のいる犯罪が犯人の金銭的利益につながるのも同じロジックだ。もちろん、被害者の司書もこの映画に出演しており彼女が彼らの出演を許可したであろうことは想像に難くない。

 

 

信じたいことを信じた代償

実行犯による回想で最も印象的だったのは、彼らのうち1人が犯行に及ぶまで「信じたい物語を信じていた」と語っていたことだ。計画の実行に拘っていたリーダー格のウォーレンが盗んだ本を売るアングラ古物商と接触できたために計画が加速したが、彼が言っていたことは嘘なのではないか、当時は信じたいものを信じていただけではないだろうかと。

犯罪など計画はしないから「信じたい物語を信じてしまう」ことには陥らないと考えてはいけない。彼らが退屈した日常にも真実だと思い込ませようと待ち受けている「物語」はあふれている。例えばニュース。実際の国会審議ではほとんどの場面で野党議員の追及に与党議員はしどろもどろだったのに、回答できたほんの一部を切り取って「野党の追及に屈しない頼もしい政治家」の「物語」を放映すること。例えばSNS。過去のまったく関係のないデモ集会の映像を切り取り「パンデミック下でマスクをしない支持者たち」の「物語」を創って気に入らない相手を攻撃すること。例えば歴史。先の戦争での日本の近隣アジア諸国で日本軍による虐殺行為にはいっさい触れず「日本国民こそ戦争の被害者」の「物語」を強調し、加害の歴史から目を背けなかったことにしようとすること。

かく言う私も、Netflixの用意したあらすじとサムネ動画から『オーシャンズ』シリーズのようなカッコイイ犯罪集団が華麗にターゲットをかっさらう「物語」を信じた。このように、「信じたい物語を信じる」ことは容易い。このハードルの低さが批判的な視点や、理性的な対応や思考を鈍らせる。手軽で気持ちも良いものに囲まれての暮らしを欲するのは自然な機微だ。

しかし、この思考するひと手間を惜しんだ怠慢のつけは彼ら4人が示したように、一生払い続けなければならなくなる。主権の行使を怠れば国民主権すら失われた権威主義独裁国家で暮らさなければならなくなる。SNSでデマを拡散し中傷すれば訴えら社会的に信用を失いプライベートでも家族や友人を失う。学術研究に基づいて歴史を扱えなくなれば国際的な信用は失墜し世界から相手にされなくなる。娯楽作のフィクションを現実の犯罪に投影していることに無自覚だとフィクションのご都合主義が現実でも通用すると無意識が働いて他者を加害する。

 

 

反知性主義という楽な生き方

スタンガンで襲われた被害者の司書の女性も出演しており映画の最後で

 

彼らは楽に生きることを望んだのね

知識を得て成長する体験を拒んだ

他人の体験に対して手を貸すこともせずに

とても自分勝手よ

 

と語っている。「他人の体験に対して手を貸す」図書館司書ゆえと受け取れる言葉だ。本を盗むということは人類の共有財産への侵犯でもあるため、知識や知恵への冒涜や反逆を象徴する行為であることも念頭にあるのではないだろうか。

「信じたいこと」は理解もしやすいため、学ぶ際の理解が追い付かないもどかしさや、自分の頭脳を否定されているような腹立たしさも感じにくく、全能感に酔って病みつきになってしまう中毒性がある。だがそれは建設的な批判や思考を放棄した反知性主義にほかならない。知恵を得ることを拒んだ人間が一生負うことになる代償の大きさを、実際の強盗事件から学べるのがこの映画だ。