世界拾遺記

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『ブリジャートン家』感想①:似て非なる超進化版ゴシップガール

Netflixオリジナルの新たなヒット作

2020年12月25日に公開されたNetflixオリジナルドラマ『ブリジャートン家』。公開以来4週間で6300万世帯が視聴したNetflixの新たなヒット作だ。

見始めたら止まらなくなり一気見してしまった。

 

 

あらすじとみどころ

まず簡単にあらすじをまとめると、19世紀前半のロンドンを舞台に、あたたかな家庭で育ち両親のような愛のある結婚と温かな家庭を夢見て社交界にデビューしたブリジャートン家8人きょうだいの長女・ダフネと、彼女の境遇とは正反対に、親の愛を知らず孤独に育った公爵家の一人息子・サイモンがお互いの利害が一致したため「ビジネスパートナー」として始めた「付き合ってるフリ」をきっかけにお互いを意識していくロマンス、といったところ。

本編を見ずともサムネだけで、ロンドンの上流階級や社交界を描いた作品なだけあって衣装の華やかさに目が行くが、ファッションについては門外漢なので触れずにそっとしておく。ファッション以外にも、テイラー・スウィフトやビリー・アイリッシュの楽曲がアレンジされ挿入されていたりと、アートの側面から楽しむことができる作品になっている。自分にこの作品のアートやファッションを十分楽しむだけの教養も関心もく、デザインのこだわりがスゴイんだろうな、ぐらいの粗い解像度しかないのが本当に残念でならない。

と言うことで、ここでは従来の貴族モノには乏しかったキャスティングの多様性と、家父長制やジェンダー規範にテーマを絞って見ていきたい。

海外作品をこの視点なしで見るのはもはや何が見えるんだというくらい、現在進行形で取り組んできた問題であり、日々思考が凝らされている部分から目をそらさずにいたい。

 

 

ヒロインの相手役は黒人の公爵

貴族モノなのに黒人俳優が起用されてることに興味を持った人も多いはずだ。なぜこの配役が実現したのか。原作がそうなのか、映像化の過程でそうなったのか。見進めていくと、サイモンの育ての親であるレディ・ダンベリーが「王が非白人女性と結婚し、非白人にも爵位を授与することになり私たちの家が始まった」と語るシーンがあり視聴者はようやくif設定なのかと合点がいく。

この設定は、『ブリジャートン家』のプロデューサーの1人クリス・ヴァン・デューセン曰く、作品中にも登場するシャーロット・イングランド女王(ジョージ3世の妃)はロイヤルファミリー初の黒人の血を引く王妃である可能性から、女王がミックスレイスなら非白人貴族家があってもいい、と着想を得て生まれたようだった。ちなみに、原作で白人設定だったのはマリーナ・トンプソン、サイモン、レディ・ダンベリー。主要貴族キャラはオリジナルでは白人として描かれていたと考えてよさそう。

このようなパラレル世界設定は『ブリジャートン家』が初めてではない。すでにアメコミで取り入れられており、映画『スパイダーマン:スパイダーバース』では、パラレル世界が交わりそれぞれの世界のスパイダーマンが一堂に会する形で、黒人、女性、アジア人など多様なヒーローが活躍した。if設定を歴史に盛り込むのは大胆な賭けのようにも見えるが、歴史上のあの人物があの事件の後も実は生きていて、のようなif設定は創作の定番だ。

この時代劇での白人ばっかり問題は、架空の世界を舞台にしたファンタジードラマ『ゲームオブスローンズ』ですら克服できなかった。『ゲームオブ~』では、白人は王侯貴族で有色人種は奴隷か西洋帝国列強が「野蛮」「未開」と見なしそうな異民族だった。東アジアっぽい戦闘装備を身に着けたキャラクターも白人がキャスティングされた。それを19世紀前半のロンドンを舞台にした作品でやってのけたのは特筆に値するのではないだろうか。

白人ばっかり問題は、キャスト一覧だけを見れば人種的多様性が達成されていても、作品本編ではモブキャラだったり、白人キャラにはある活躍場面がなかったりと根は深い。例えば、『スターウォーズ』新3部作のように黒人やアジア人を起用し、宣伝ではあたかも彼らがメインキャラクターとして活躍するかのように扱いながら、本編では脇に追いやった。このことは『スターウォーズ』のフィン役の俳優が抗議している。

一方、『ブリジャートン家』では有色人種キャストをこのような仕打ちにしているわけでもなく、ヒロインの相手役となる公爵や、この第1シーズンでダフネと対になるキャラ、マリーナといった主要キャラに多様性を反映させている。これも、過去の作品の問題点を改善した要素の1つになっている。

しかし、1つ気になったのは、わざわざ黒人貴族家が存在する理由を作中で説明したことだ。人種差別が描かれるならその理由が言及されるのは必然だが、この作品では人種差別にフォーカスする展開はなく(もっとも、原作では主要キャラが白人設定であるため、人種差別される側になる展開は起こり得ないが)、むしろ舞台版ミュージカル『レ・ミゼラブル』のファンティーヌがアジア系でジャベールがアフリカ系でキャスティングされたりするように、人種に関係ない配役がなされたと言われた方が納得できそうなほどだった。

それゆえに、黒人貴族がいる背景の説明がかえって「黒人は本来貴族ではない」と有徴化しているように映ってしまった。母親が家事をするのに理由はいらないのに、父親が家事をするのには理由が求められるのと同じだ。確かに黒人貴族家の存在は気になるが、本編で言ってはせっかくのキャスティングの良さが損なわれてはいないだろうか。貴族モノ時代劇で有色人種を貴族としてキャスティングするにはパラレル設定などがないと不可能と言っているようなものではないか。映像作品において舞台演劇のように俳優の能力や魅力でキャスティングするのはまだ難しいということか。

 

 

貴族版『ゴシップガール』?

ネットで『ブリジャートン家』を日本語で検索すると、恋愛模様や匿名の瓦版で登場人物のゴシップがスクープされ物語が動くことから、貴族版『ゴシップガール』と言われているのが散見されたが、この作品は『ゴシップガール』とは似て非なる作品だと言いたい。

『ゴシップ~』は異性愛者の白人美男美女による恋愛ドラマであり、1994年放送開始のドラマ『フレンズ』と変わらない規範が反映されており、人種的多様性にも性的指向の多様性にも欠ける。登場人物たちを翻弄する匿名メディアも、『ゴシップ~』ではストーリーを動かす機能としての側面が目立つが、『ブリジャートン家』の方はそれにとどまらない。外国出身の非英語ネイティブで働く自立した女性が英国貴族だけでなく女王までペン1本で翻弄する構図が浮かび上がる仕組みになっている。『ゴシップ~』は、最終話でゴシップガールの正体はダン・ハンフリーだと明かされるので、それを踏まえると『ゴシップ~』も庶民がセレブを手のひらで転がし操っていた構図になる。しかし、実際はドラマの途中まではセリーナの弟、エリックがゴシップガールの中の人として伏線が張られていたらしい。ニューヨークポストのスクープでそれが報じられてしまい、ダンに変更されたとか。

さらに、入り乱れる恋愛模様が見どころの『ゴシップ~』に対し、『ブリジャートン家』は原作小説の作家が現代版ジェイン・オースティンと称されるだけあって、女性差別や家父長制、ジェンダーロール問題が織り込まれている。ここが最大の違いだ。『ゴシップ~』の表現上の問題点を改善、克服した似て非なる超進化版『ゴシップガール』が『ブリジャートン家』だ。両者を同列で語るのは乱暴が過ぎる。

ゴシップガール』は2019年にリブート版の制作が決定した。オリジナル版のその後のニューヨーク上流階級の高校生たちを描くようなので、白人異性愛者のみだったオリジナル版からどうアップデートするか注目だ。